越前若狭発!育てる博物館

レイヤーを重ねることで、見えてくる景色がある。

育てる博物館 (4)LOVE水ようかん 1. ようかん事件

どうも、岩本鑑糵です。


第4弾は福井県の冬の風物詩、水ようかん特集!(まだ夏ですけど!?)
以下のリンクで,「Googleマイマップ」が開きます.
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1bOG4G0tn2sKbXNAL4RDUhqnz7zFdomk&usp=drive_link
なお、タイトルの出典はこれです。
福井伝統工芸アイドル さくらいと「LOVE水ようかん~箱推しでお願い~」
https://www.youtube.com/watch?v=JK_7jFj-AO8


福井県のタウン誌「URALA」の2019年の水ようかん特集記事で、なんと94軒もの水ようかんが紹介されていましたので、
今回はその情報をベースに福井県の水ようかん文化を地図に表したいと思います。
https://urala.today/39128/
...ふう。プロットするだけでも大変なのに、これ全店取材して試食もしてるのか...
取材中変なテンションになってたやろなあ...


僕らが「福井県では冬に水ようかんを食べるんやよ」と言うと、県外の方が「え?夏じゃないの?」と戸惑うのはもはやお約束。
そりゃ夏に冷たい水ようかんをちゅるんっといくのはオツなもんですけど、そういう食べ方って実は歴史が浅いのでは?と思っています。
暑い季節に食べ物が腐らないようにするには、糖度ないし塩分を上げるか、ガンガン冷やすか、といったところ。
砂糖なんて昔は貴重品だし、冷蔵庫の普及も戦後だと考えると、むしろ冬に食べる方が伝統的ではないかと思うのです。
寒い季節だからこそ、みずみずしくて甘さ控えめ、喉がベタつかず後味さっぱり、を楽しめるのです。
(なお現在では通年で常温保存できるよう密封したタイプの水ようかんもあるので、お土産にどうぞ)


上記の「水ようかんはもともと冬に食べるものだった」という仮説が正しいなら、他の地域にも同じような食べ方が残っていそうなもの。
そもそも福井県の水ようかんも上方へ行った丁稚奉公によって伝わった説があり、大野や若狭では実際に「丁稚ようかん」と呼んでいる。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/decchi_youkan_fukui.html
実際、滋賀県にも丁稚ようかんがあるみたいだしね。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/decchi_youkan_shiga.html
こっちは近江商人がらみか...とすると、各地の丁稚奉公や出稼ぎのネットワークを介して伝播した可能性もあるか?
でも待てよ、製法が全く違う。近畿の丁稚ようかんは竹の皮に包んで蒸すけど、福井県では箱に流し込んで冷やして固める。
まあ、当時お土産にするなら水分が少なくて日保ちする固いようかんだよなあ。
「お前が持って帰ってきたようかんみたいな贅沢なものは作れないけど...」てなことを言って、各家庭で作るようになったのかなあ。
となると、「福井県の水ようかんは、贅沢なお土産物としての丁稚ようかんを庶民が普段食べられるようにカスタマイズしたもの」という仮説も成り立つのではないかと。


実は、マーカーの色を少し変えています。
茶色が若干濃いのは、先述の「URALA」の記事で「固さ」の5段階評価が★4以上だったもの。
若狭の方が固いものが多い気がする...割合,ですけどね。
地理的に近畿に近い方が、もともとの固い丁稚ようかんの特徴を残しているというのでしょうか?
よく見ると三国もだ...もしかして北前船
一方で,若狭と同じように「丁稚ようかん」を名乗っている奥越の水ようかんが軟らかいのは不思議だ...
 
そんなわけで、全国の「水ようかん・丁稚ようかん」仲間を探しています。
何かご存じでしたらぜひコメントください!地図上にプロットしていきます。


もとは中国の羊肉の煮凝りだった「羊羹」がどのように伝播し、どう形を変えながら和菓子としての「ようかん」になっていったのか?
そして、福井県の「水ようかん」はいかにして生まれ、定着したのか?
...これはもう,直接お店の人に聞くか.あるいはガチで虎〇文庫とか読まなあかんやつか.
でも「育てる博物館」は焦りません。皆さんと一緒に、ゆるーくやります。
更新頻度もゆるめです。とはいえ、また何か分かったら更新しますね。