越前若狭発!育てる博物館

レイヤーを重ねることで、見えてくる景色がある。

育てる博物館 (1)魚、山に登る 3. 鰤街道をゆく

どうも,岩本鑑糵です.
今回も以下の地図から.
以下のリンクで,「Googleマイマップ」が開きます.
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1UbVZCww5UCMH8OqbBUeEAnDFTiWFe9M&ll=35.68175018018539%2C135.75033645200605&z=8


日本海側にはブリの漁場が並んでいます.
若狭湾寒ブリは荒波に揉まれて身が締まっていて,スーパーの刺身でも十分旨い.
オーソドックスに醤油とワサビでもいいし,僕はオリーブオイルとレモンでカルパッチョ風にするのも好きです.


ブリは刺身でも煮付けても美味しいですが,発酵食品となると,石川県や富山県で食べられてきた「かぶらずし」はその筆頭でしょう.
参考: https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/kaburazushi_ishikawa.html
カブのしっとりとした繊細な歯触りと,魚肉の旨味が絶妙.
カブの白とブリの赤の取り合わせは、美しい上に縁起も良い感じがします.
旨さと美しさをこれほど高次元で兼ね備えた食べものはそうないはずです.


日本海のブリもまた,はるばる内陸まで運ばれた魚のひとつ.
越中富山から飛騨を経て,野麦峠を越えて信州に至る「ぶり街道」があります.
千国街道(前回の塩イカのエピソードでも登場)と並び,日本海の塩ブリを信州に届ける主要ルートでした.
おかげで,内陸の飛騨や信州でも「年越し魚」として塩ブリが欠かせない存在になっています.
ただ,以下の資料によると,松本藩が塩の専売制を敷いており,塩は千国街道を通してのみ仕入れていました.
そのため,千国街道はよく整備され記録も詳細に残っていますが,ぶり街道の方は資料が乏しいようなのです.
参考: https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no29/06.html


ではかつてのぶり街道の面影が消えてしまったのかというと,そうでもありません.
高山市内には,かつて「肴万問屋」として栄えた「川上家」の屋敷が残っています.
江戸初期に高山の領主を務めた金森家から与えられた屋敷で,その庭には金森家の茶の湯趣味が反映されています.
元禄から明治まで約200年にわたって魚問屋業を独占しただけあり,破格の待遇だったようです.
参考: https://adeac.jp/takayama-lib/table-of-contents/mp000031-100030/d100030


この金森家というのは,もともと織田信長の家臣で,越前大野の城下町を整備した金森長近の一族です.
戦だけでなく町づくりや茶の湯でも大きな足跡を残したマルチタレント大名.
...ああ,いずれその話もやりたいなあ.

育てる博物館 (4)LOVE水ようかん 1. ようかん事件

どうも、岩本鑑糵です。


第4弾は福井県の冬の風物詩、水ようかん特集!(まだ夏ですけど!?)
以下のリンクで,「Googleマイマップ」が開きます.
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1bOG4G0tn2sKbXNAL4RDUhqnz7zFdomk&usp=drive_link
なお、タイトルの出典はこれです。
福井伝統工芸アイドル さくらいと「LOVE水ようかん~箱推しでお願い~」
https://www.youtube.com/watch?v=JK_7jFj-AO8


福井県のタウン誌「URALA」の2019年の水ようかん特集記事で、なんと94軒もの水ようかんが紹介されていましたので、
今回はその情報をベースに福井県の水ようかん文化を地図に表したいと思います。
https://urala.today/39128/
...ふう。プロットするだけでも大変なのに、これ全店取材して試食もしてるのか...
取材中変なテンションになってたやろなあ...


僕らが「福井県では冬に水ようかんを食べるんやよ」と言うと、県外の方が「え?夏じゃないの?」と戸惑うのはもはやお約束。
そりゃ夏に冷たい水ようかんをちゅるんっといくのはオツなもんですけど、そういう食べ方って実は歴史が浅いのでは?と思っています。
暑い季節に食べ物が腐らないようにするには、糖度ないし塩分を上げるか、ガンガン冷やすか、といったところ。
砂糖なんて昔は貴重品だし、冷蔵庫の普及も戦後だと考えると、むしろ冬に食べる方が伝統的ではないかと思うのです。
寒い季節だからこそ、みずみずしくて甘さ控えめ、喉がベタつかず後味さっぱり、を楽しめるのです。
(なお現在では通年で常温保存できるよう密封したタイプの水ようかんもあるので、お土産にどうぞ)


上記の「水ようかんはもともと冬に食べるものだった」という仮説が正しいなら、他の地域にも同じような食べ方が残っていそうなもの。
そもそも福井県の水ようかんも上方へ行った丁稚奉公によって伝わった説があり、大野や若狭では実際に「丁稚ようかん」と呼んでいる。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/decchi_youkan_fukui.html
実際、滋賀県にも丁稚ようかんがあるみたいだしね。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/decchi_youkan_shiga.html
こっちは近江商人がらみか...とすると、各地の丁稚奉公や出稼ぎのネットワークを介して伝播した可能性もあるか?
でも待てよ、製法が全く違う。近畿の丁稚ようかんは竹の皮に包んで蒸すけど、福井県では箱に流し込んで冷やして固める。
まあ、当時お土産にするなら水分が少なくて日保ちする固いようかんだよなあ。
「お前が持って帰ってきたようかんみたいな贅沢なものは作れないけど...」てなことを言って、各家庭で作るようになったのかなあ。
となると、「福井県の水ようかんは、贅沢なお土産物としての丁稚ようかんを庶民が普段食べられるようにカスタマイズしたもの」という仮説も成り立つのではないかと。


実は、マーカーの色を少し変えています。
茶色が若干濃いのは、先述の「URALA」の記事で「固さ」の5段階評価が★4以上だったもの。
若狭の方が固いものが多い気がする...割合,ですけどね。
地理的に近畿に近い方が、もともとの固い丁稚ようかんの特徴を残しているというのでしょうか?
よく見ると三国もだ...もしかして北前船
一方で,若狭と同じように「丁稚ようかん」を名乗っている奥越の水ようかんが軟らかいのは不思議だ...
 
そんなわけで、全国の「水ようかん・丁稚ようかん」仲間を探しています。
何かご存じでしたらぜひコメントください!地図上にプロットしていきます。


もとは中国の羊肉の煮凝りだった「羊羹」がどのように伝播し、どう形を変えながら和菓子としての「ようかん」になっていったのか?
そして、福井県の「水ようかん」はいかにして生まれ、定着したのか?
...これはもう,直接お店の人に聞くか.あるいはガチで虎〇文庫とか読まなあかんやつか.
でも「育てる博物館」は焦りません。皆さんと一緒に、ゆるーくやります。
更新頻度もゆるめです。とはいえ、また何か分かったら更新しますね。

育てる博物館 (3)豆は天下の回りもの 1. 大陸からぼたもち?

どうも、岩本鑑糵です。

「育てる博物館」第3弾は、豆の旅。
以下のリンクで、「Googleマイマップ」が開きます。
福井県を中心に、豆の情報を集めているマップです。
葉っぱのマークが各地の豆の品種で、家のマークが豆を使ったお菓子を作っているお店などを表しています。
今回は「アズキ」「ササゲ」のレイヤーをご覧ください。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=17wtVQ5k2Xis3r6FBg6Po0J_FpjJXRRY&usp=drive_link


福井県北部の三国や芦原では、夏になると「とびつき団子」というのが作られます。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/tobi_tsuki_dango_fukui.html
餅の周りに茹でたササゲをくっつけた、土用餅の一種です。
土用餅というと餅を小豆餡で包んだいわゆるあんころ餅が一般的なのですが、これは豆を餡にせず茹でただけ。
なかなかパンチの強い見た目をしてますが、これが美味い。


実は石川県や富山県にも同様の、「ささげ餅」があります。
さらに北陸だけじゃなく、対馬の「だんつけもち」や沖縄の「ふちゃぎ」はササゲではなくアズキを使っていますが、基本的な製法は同じで見た目も酷似。
さらに近縁種?として、宮崎県美々津の「お船出団子」は、米粉と小豆を蒸して搗き、渾然一体となった一品。


これらといい、おはぎやぼたもちいい、「餅+アズキorササゲ」というスタイルのお菓子は、
全国各地にあるようです。
中尾佐助や佐々木高明らが提唱した「照葉樹林文化論」では、作物のモチ品種とアズキを、麹や納豆などと並び照葉樹林文化の特徴であるとしています。
だとすると、この餅たちは季節の行事や信仰とともに、照葉樹林帯に沿ってやってきたのではないか?
中国南部からヒマラヤにかけての一帯に、これに類する食べものがあるのではないか?
今後調べがいのあるテーマですね。
以前お世話になった植物遺伝育種学の先生によると、東南アジアには粽にササゲを入れた食べものがあるらしい...


ササゲはアフリカ原産だし、ささげ餅を照葉樹林文化に結び付けるのはちと乱暴かな...?
とはいえササゲやアズキって、呼称や分類が錯綜しててややこしいのです。食文化においてもさほど区別されていないのかもしれません。
なお今日、アズキは北海道産が国産の9割以上を占めているという...
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/tokutei_sakumotu/r5/syukaku_mame/index.html
原産地は照葉樹林帯なのに...これはもう,執念やな。育種家ってスゴい。

育てる博物館(1)魚、山に登る 2. 塩イカ食べにイカなイカ?

「育てる博物館 (1)魚、山に登る」
以下のリンクで,「Googleマイマップ」が開きます.
今回は「イカ」「塩の道 千国街道」のレイヤーをご覧ください.
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1UbVZCww5UCMH8OqbBUeEAnDFTiWFe9M&ll=35.68175018018539%2C135.75033645200605&z=8
過去に紹介した地図でも情報を加えることで,新たなストーリーが立ち現れることがあります.
これが「育てる博物館」と名付ける所以です.


信州南部では,スーパーの魚介コーナーに「塩丸いか」というものが売られています.
おそらく日本で海から最も遠い場所で,イカが郷土料理になっているとは,これイカに.
糸魚川から松本に続く千国(ちくに)街道は,人呼んで「塩の道」.
古くから日本海の塩と魚がこの道を通じて信州にもたらされました.
ただ塩を運ぶんじゃなくて,その塩でお魚漬けて持ってけば良くね?ということで,
イカは腐りやすい内臓を抜かれ,その代わりに塩が詰められることに.
おかげでそのままだと非常にしょっぱく,調理前には塩抜きが必要.
しかし,酢の物などにすると美味.


ただ,塩丸いかは現在,苦境に立たされているようで...
イカの不漁による値上がりと減塩志向で,消費量が減ってるらしい...
昔と違って冷蔵技術が進んでるわけだから,信州人も刺身で食えばいいじゃんって思うかもしれないけどさ.
せっかく美味しく食べられるように工夫してきたんだから、無くなっちゃうのは勿体無いですね.


意外にも塩丸いかの大半は現在,福井県のメーカーで製造されています.
上述の苦境の中で製造を止めようとしたら,取引先から「信州の食文化が壊れてしまう」と継続を懇願されたそうです.
そういう根強い需要がある今のうちに,復活への一手を打てないものか.
こういう時,行事食としてなら残りやすいのかなあ.
土用の丑」よろしく,「塩丸いかで塩分とタンパク質を摂って,猛暑を乗り切ろう!」みたいなキャンペーンとか.
調理がより簡単な状態で売るとか(内臓は抜かれているが塩抜きが必要),
現代風のアレンジレシピを紹介するとか...
すみません,ありきたりかな...


参考: 
国土交通省 千国街道
https://www.mlit.go.jp/tec/accountability/pickup/photos/chikuni.html
東京新聞 2023年9月16日 <食卓ものがたり>福井で仕込む信州の味 塩丸いか (福井市)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/277771

育てる博物館 (2)カブの旅 1.畑という字は火の田んぼと書くのね

「育てる博物館」第2弾は、ぶら~り「カブの旅」!
以下のリンクからどうぞ。
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1keuEVqMhr9IelPmfRa6SPRIWtYnHPlQ&ll=35.876753170720065%2C135.77132226348814&z=9


東京から札幌まで行ったりしませんよ、今回もまた福井県中心で考えてます。
カブは各地に在来品種が残っている、多様性に富む野菜のひとつです。
2019年の暮れには龍谷大学農学部で「全国在来かぶらサミット」が開催されたりして、
実はアツい世界なのです。
 参考URL https://www.ryukoku.ac.jp/nc/news/entry-4619.html


福井県だけでカブの在来品種が8種類もありますよ。
周辺各県も順次追加していますが、滋賀県岐阜県・長野県なんかは数があって結構大変です。
福井県の品種の中には、焼畑で栽培されるものもあります。
河内赤かぶらや嵐かぶらがそうです。
8月の炎天下で火入れをし、煙がまだ上がっているうちから種をまき、晩秋に収穫します。
辻岡侑生・樋口潤一編著『福井県焼畑~その歴史と未来を考える~』(福井県里山里海湖研究所、2024)の図を見る限り、
福井県焼畑の型は地域によって以下のように大別されるようです。
・白山麓:春焼き ヒエ→アワ→アズキ→シコクビエ
・大野盆地周辺(+美浜):夏焼き カブ→アズキ (いわゆる「カノ型」)
福井平野周辺:夏焼き ソバ→アワ・アズキ
・丹生山地+嶺南:夏焼き ダイコン(輪作せず)


河内赤かぶらや嵐かぶらは、近畿北部から東北南部にかけて見られる、
北方系ブナ帯型の焼畑文化の一端を担ってきたわけですね。
同じ型の焼畑を調べれば、滋賀県余呉の山かぶらや山形県温海の温海かぶなど、
おのずと多くの在来カブ品種に出会えるでしょう。
別の型の焼畑には、ソバ・ダイコン・アズキ・雑穀の在来品種が残っていそうです。
...あー、キリがない。


でも、こうやって新しいトピックが出てきたのなら、レイヤーを増やして自分のペースで情報を加えていけばいいのです。
キリがないものに存分に沼れるのが、「育てる博物館」の良いところ。
好きな時間に好きなだけいじって、深めていける。
本・授業・動画・展示施設では尺や枠が決まっているので、こうは行きません。
もちろん本物や人に触れるのはものすごく大事です。それを否定するつもりは毛頭無いです。
リアルな場と同時に、こういうバーチャルでゆるい場もあって良いと思うんです。
むしろ両方あることで、より理解が深まっていくんじゃないでしょうか。

育てる博物館 (0)設立趣意・使いかた

仕事や研究で中山間地を回っていると、地域の方々や過去の資料から、様々なエピソードとの出会いが得られます。
その時々では仕事や研究に直接関係なくとも,それを残していけば、何かアイデアを捻り出すときの素材になってくれるに違いない。
一方、学校の勉強も,本も博物館も,特定の分野の中で完結しがちです。
まあ,あまり脱線すると内容もボリュームもエラいことになっちゃいますからね.
でも,「どうしてこうなってるんだろう?」とか,「ひょっとしてあれと関係あるのかな?」とかいう考えを巡らせることは単純に楽しいし、
そういった思考の中から新たな発見やアイデアが生まれることもあります。
ですから、複数の要素を重ねて自分で動かせる地図があると、その人なりの学びを楽しめるようになるのでは、と考えた次第です。


名づけて「育てる博物館」!
リアルな博物館と違って建物もホンモノの資料の無いけれど、情報を各自の好きに追加・編集して、いつでもどこでも誰とでも共有できる、そんなツールが欲しかったのです。
本当はガチの地理情報システム(GIS)とかの方ができることは多いんですけど、それはある程度勉強しないと使いにくいので、まずは取っつきやすさを優先して、タダでできることを考えました。


【使いかた】
 テーマごとに「Googleマイマップ」で地図を作り,本ブログにそのリンクを載せていきます。
 リンクを開くと「Googleマップ」上で観られます。
 情報はレイヤーごとに管理しています。地図上に表示するかどうかは、各自で切り替えることができます。
 各点には説明文や情報ソースのリンクとかを適宜載せています。
 また,関連する情報や資料を地図上に載せられない場合は「Googleドライブ」に保存しておきます。適宜リンクをブログにて共有しますので、参照してください。
 なお「Googleマイマップ」の仕様上、登録できる情報の量に限りがあります。ボリュームが増えてきた場合は、地図を「のれん分け」することもあります。


何か情報やご意見・ご感想がありましたら、各記事のコメント欄に書いてください。
地域に刻まれた物語を、思い思いの見方で楽しみましょう!

育てる博物館 (1)魚,山に登る 1. 鯖街道をゆく

新コンテンツ「育てる博物館」の記念すべき第1弾のテーマは,「魚,山に登る」です.
以下のリンクで,「Googleマイマップ」が開きます.
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1UbVZCww5UCMH8OqbBUeEAnDFTiWFe9M&ll=35.68175018018539%2C135.75033645200605&z=8


人々は,日頃の暮らしに必要なものをどうやって得てきたのでしょうか?
その手段としては,自前で作るか,他所から手に入れてくるか,の大きく2つが挙げられると思います.
特に,必要性が高いにもかかわらず特定の場所でしか手に入らないものは,交易品としての重要度が高くなったはずです.
海は地球表面の7割を占め,わが国も海に囲まれてはいますが,
交通も保存技術も発達していない時代,内陸に住む者が海の恵みを享受するのは簡単ではありませんでした.
今回は福井県を中心に,海からもたらされる魚介類がどのような道を辿り,
どのように食されてきたかを地図上に表現してみました.


若狭の浜に揚がったサバは内臓を抜かれ,塩焼きにしたり,塩や糠に漬けたりすることで保存性を高めました.
浜の人たちも,祝いの日に食べるためになれずしにしました.
海から遠い土地の人たちは,作物,木材,燃料などを供給する代わりに,
塩や魚介類,それに海路で運ばれる交易品を手に入れていました.
若狭から陸路に載ったサバは,鯖街道を通って近江や丹波を経て京に向かいます.
琵琶湖西岸の山中に,図ったかのように真っ直ぐな谷があります.
これは「花折断層」が山に刻んだもので,ここに鯖街道の一筋が通っています.
この谷にはサバずしのお店が今も軒を連ねています.
敦賀から山を越えた木之本,長浜にも,サバのすしや焼きサバを載せたそうめんがあります.


このほか,ブリ・ニシン・イカ・塩などがどのように内陸にもたらされたか,
情報をレイヤーに追加することでこの博物館を「育てて」いきたいと思います.
随時更新しますので,乞うご期待!